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好きなもの

少年時代から・・ プロ野球マニア

小さいころから好きだったプロ野球

私の小学生低学年の頃の記憶になりますが、晩御飯食べ終わっての茶の間では父がTVのチャンネル権があり、いつもプロ野球のナイターがついていました。九州では当時プロ野球球団がなく、巨人戦の中継のみでした。ですから、対戦相手は数試合ごとに変わっても巨人の選手はいつも見れて自然と巨人の大ファンになって、、そのうち勝ったら大喜び、負けたら大泣きして、更に巨人の各選手のモノマネも出来るほどでした。負けた時なんかは、どうして負けたのか?誰が悪いのか!?と父に泣きながら問い詰めていたのが懐かしく感じられます。(南海ホークスが福岡に来ることになってからは、ダイエー、ソフトバンクと変わりましたが・・・)

プロ野球は巨人からのめり込んでいって、セ・リーグの各選手もわかるようになって、そのうちパ・リーグの各選手もわかるようになって、、といった感じでした。その流れで高校野球も好きでよくTV見ていました。もちろん自らも野球をやる様になりました。

私が大学生の時くらいに野茂選手がメジャーリーグへ挑戦するまでは、まったくメジャーリーグの事は分からなかったのですが、、、  野茂選手の活躍から始まり、イチロー選手、松井選手、、、今では大谷選手と続きメジャーリーグの球団や日本人以外の選手にもかなり詳しくなってきました。

ですが、今回は小学生の頃から好きだったプロ野球について各球団について軽く語ろうと思います。現在と言うよりは、昔を懐かしむ感じにはなりますが…

12球団それぞれ語らせて頂きます!

読売ジャイアンツ

小学校の頃、大ファンだった巨人!私がTVにかじり付いて観戦して更に毎朝の新聞のスポーツ欄を隅々まで読んでいた時、若大将と呼ばれていた原選手の全盛期でした。原選手のファンでもありましたし、各選手の打ちマネをよくしていて、今だにこの時のオーダーが頭に入っています。80年代半ばくらいだと思います。

  1.  松本
  2.  岡崎(鴻野)
  3.  篠塚
  4.  原
  5.  クロマティ
  6.  吉村
  7.  中畑
  8.  山倉
  9.  ピッチャー

青い稲妻と言われていました松本選手は足が異常に早く盗塁王を獲得したこともあり、たしか60~70盗塁していたと思います。世界の盗塁王福本選手にはかないませんが、その次だと私は思ってます。スタートが素晴らしい。岡崎選手は勝負強くライナー性の打球が多く、左中間を破っていくイメージが。。篠塚選手は首位打者とったこともあり芸術的な流し打ち、そしてたまに引っ張ったらホームラン!ってイメージ。原選手は、ずっと4番を張ってて打点王獲得したり、ホームランもコンスタントに30本以上を何度も記録していて姿がかっこよかったんですが、巨人の4番バッターがゆえにメディアにたたかれる事が多かった気がします。クロマティー選手は決勝打の後の外野スタンドに向けてのバンザイ\(^o^)/が忘れられません。最初のうちはホームランバッターだったのが、いつの間にか中距離打者になっていき、4割も打てそうな位に高打率を残すようになっていきました。吉村選手。。札幌でのあのケガさえなければ、のちに三冠王も狙えたんじゃないかと思うくらい素晴らしいバッターでした。中畑選手(絶好調男)は、元気ハツラツなあの姿忘れられません。山倉選手は、意外性の男と言われ良いところで打ってくれて私も意外と好きでした。

以上が、私が巨人の大ファンだった小学生ころの打線です。このころは西武がめちゃくちゃ強くて日本シリーズで勝たなくて悔しい思いしました。。。今は、ソフトバンクに勝てなくなってきてますが。。

この後は、斎藤投手はじめとする投手王国の90年時代、史上最強打線と言われた2000年代初め、今は選手時代からファンだった原選手が現監督に!

阪神タイガース

阪神と言えば、やはり85年の日本一です。この年の勢いは凄まじかったです。甲子園での巨人/槇原投手から放ったバース/掛布/岡田のセンターバックスクリーン3連発!この時の映像がよくプレイバックシーンで出てきますし、伝説として語り継がれています。投手力は弱かったのにそれを十分にカバーしてしまう打力。バース選手が三冠王。クリーンアップの3人とも、3割30本100打点以上達成。こんなクリーンアップを私はプロ野球でこれまでの人生で見たことないです。一番バッターの真弓選手も3割30本80打点達成しています。

85年は九州の方でも盛り上がって、急に阪神ファンが増えてきて、阪神の帽子を被って登校する友達も数人いたくらいです。

それから「暗黒時代」と言われていた90年代、、一時期亀山選手らが台頭してきて盛り返しつつありましたが大半が最下位だった気がします。ヤクルトを日本一に導き「ID野球」「野村再生工場」とも呼ばれた名将野村監督をもってしても、上位に浮上できませんでした。。しかし、2000年代に入ると、新庄選手が抜けはしましたが、広島から獲得した金本選手や新井選手、生え抜きの今岡選手、赤星選手らの活躍もありセ・リーグ制覇を成し遂げます。アニキこと金本選手の存在が非常に大きかった!

巨人、阪神と、私の小さいころ中心に語っていますが、昔から巨人VS阪神の戦いは、伝統の一戦と言われ続け、どちらが弱い時代でもスタンドは満員で注目の一戦として盛り上がります。なぜか、この一戦は注目して見てしまいますね。

広島東洋カープ

小学生の頃に父から聞いた話ですが、私の生まれた昭和50年10月にカープが初優勝して、たまたま出張先だった広島で現地の人たちに混じって祝杯を挙げて盛り上がったそうです。「赤ヘル旋風」と呼ばれたこの年は、山陽新幹線が岡山までだったのが博多まで伸びたらしく、父もその新幹線に乗って出張に行ったらしいです。周りでは、「優勝できたのは新幹線のおかげ」とも言われていたそうです。理由は、新幹線のおかげで選手の遠征時の移動が大幅に短縮され負担が減ったから・・・だそうです。すごい!新幹線効果(笑) 一緒に現地で初優勝のお祝いしたせいか、時々父はカープを応援してます。

私の中での広島カープは、鉄人衣笠選手、山本浩二選手のインパクトが非常に強いです。特に衣笠選手!当時、巨人戦にやたらと強く夏場にホームランばかり打たれて巨人が負け、衣笠選手に泣かされた記憶があります。めっちゃ悔しかった。でも、その衣笠選手が野球教室で私の地元に来て下さり、指導を受けることができ、さらにその後講演会にも出席して食い入るように話を聞いたのは少年時代のいい思い出です。私の人生で野球教室を受けた唯一のプロ野球選手が衣笠選手なのです!!

首位打者に連続で輝いた正田選手、炎のストッパー津田投手もすごく印象に残っています。私が当時大ファンだった原選手が津田投手とは相性が良く、ホームランを何度も打ったシーンは忘れられません。津田投手の躍動感のある投球スタイルは大好きでした。その後の投手王国と言われた、大野選手、北別府選手、川口選手の時代、、珍プレーの常連である達川選手も面白かった。イチロー選手がリスペクトしていると言われる前田選手も素晴らしい選手でしたが、ホントにけがに泣かされいた印象があります。その後は選手は育つがFAでどんどん出て行かれたのが非常に残念です。中心選手である、川口選手、江藤選手、金本選手、新井選手、、、

中日ドラゴンズ

小学校の頃、中日ドラゴンズの打線はスゴイと思っていました。記憶に残っているのは、田尾選手、大島選手、モッカ選手、宇野選手、谷沢選手、らの強力打線でした。なぜが、田尾選手のくるくるバットを回す姿が気に入っててよくマネしていました。また、剛速球を投げていた小松投手、郭源治投手のフォークボール、牛島投手も忘れられません。

その後、「闘将」星野監督の時代になって落合選手がロッテから移籍して、野球界での話題になり、やたらと周りに中日ファンが増えていったのは覚えています。でも、この頃も私は巨人ファンでした。

来年から監督になる「ミスタードラゴンズ」と言われていた野球センスの塊の現役時代の立浪選手は好きでした。ホームランを打った後のあのバットを戻しながら投げるシーンはたまりません。あんな投げ方をする選手いませんよ。落合監督時代は手堅く地味でしたが、勝利にこだわり、とても強かったのは印象的でした。

東京ヤクルトスワローズ

私たち40代の中には、野村監督時代の「ID野球」「野村再生工場」などと言われていた90年代の頃を思い出す方が多いかと思います。古田選手を筆頭に急に人気が出てきました。近年は、弱い投手力を補うほどの素晴らしいバッターが沢山います。トリプルスリーを何度も達成した山田選手筆頭に、村上選手も魅力があり将来が楽しみです。

しかし、私のヤクルトスワローズの印象はBクラスが定位置の頃の土橋監督/関根監督時代なんです。。。野球に興味も持ち出した小学生低学年の頃がこの時代だからだと思います。いまだに、野村監督時代というより、土橋監督/関根監督時代!の印象が払拭できません。弱い時代に、池山選手広沢選手がフルスイングでたくさんの三振で注目を浴びていた頃が懐かしいです。気持いいほどのフルスイングで、池山選手はブンブンマルと言われながらもホームラン量産していました。この頃、長嶋一茂選手の入団も注目を浴びていましたし、期待していました・・・

話は変わりますが、東京に単身赴任になって野球観戦で神宮球場に初めて行った時のインパクトはすごかったです。得点が入るたびにビニール傘を振りながら東京音頭をみんなで歌って、この空間に感動しました!TVでよく見受けられるこれをやってみたかったんです・・

2021年は、前年最下位だったのがウソのような快進撃でした!日本一おめでとうございます!!

横浜DeNAベイスターズ

私の小学校時代の大洋ホエールズは印象に残っています。近藤監督時代のスーパーカートリオと呼ばれていた高木選手、加藤選手、屋敷選手は足が速く手が付けられなかったです。特に屋敷選手は盗塁王の連続でした。クリーンアップの2選手、コツコツバットに当てて打率の高かったパチョレック選手、本塁打/打点の2冠王獲得したこともあるポンセ選手も特徴があって打ちマネしてました。この当時は、巨人との相性が大変悪く、巨人からは横浜大洋銀行と揶揄されていました。だから、当時大の巨人ファンだった私は安心して試合観戦しながら、大洋の選手をじっくり見ていた気がします。

そんな大洋ホエールズも、横浜ベイスターズに変わり台風の目と言われるほど90年代後半はAクラスに食い込んでくるようになり、98年には日本一となります。この年は、「大魔神」佐々木投手を柱とする投手陣と、一度打ち始まると止まらない鈴木選手やローズ選手中心の「マシンガン打線」が見事にかみ合って、日本シリーズでも西武有利との下馬評を覆しての日本一は気持ちよかったです。

その後は、内川選手や村田選手がFAで出ていくことが重なり、チーム状態は悪くなる一方でした。でも、そんなチームを救ったのが中畑監督だと思います!!あのバイタリティーと明るさは突き抜けていました。選手にもかなりの影響を与えたことだと思います。現在は打線のチームの印象が強く、いいバッターが沢山いますし、以前のマシンガン打線の復活を期待しています。

福岡ソフトバンクホークス

大阪から関門海峡を渡り、九州へやってきて、、、前身の南海ホークスがダイエーホークスとなった瞬間から・・ 地元に球団がいよいよできたと言うことで、必死に応援するようになりました。しかし、当時は年配の方にはなかなか受け入れられずに西武ファンがかなりいました。平和台球場はホークスファンよりライオンズファンの割合が多かったです。西武の前身にあたる西鉄ライオンズは福岡の西鉄グループが所有している球団であり、地元にかなり密着した球団でした。年配の方たちから、西鉄が日本シリーズで3連敗した後に4連勝で日本一となった昔のことをよく聞いていました。「鉄腕」といわれた稲尾投手は、”神様仏様稲尾様”とまで言われていたそうです。今では考えられない事ですが、日本シリーズで3連敗した崖っぷちから連投して素晴らしい投球をしてから、そう言われるようになったそうです。また、当時打者としては豊田選手や中西選手の名前をよく耳にしていました。

ダイエーホークスが誕生してからも、、しばらく周りには私の父親世代を中心に西武ファンが多かった記憶があります。西武の事を西鉄と呼んで応援するくらいでした。そんなダイエーホークスも時間の経過とともに、福岡だけでなく九州全体にファンが増えていき、ホークス熱も高まってきました。私も、中学から高校、大学時代はホークスのファンクラブに入って熱烈に応援していました。

福岡ドームが完成する前までの平和台球場時代が懐かしいです。終盤になるといつものように打ち合いになり試合がもつれながらも負けることは多かったのですが、お約束のような光景だった打撃戦を楽しんでいました。下位に低迷する時代が続いていましたが、福岡ドームに移転して王監督になって選手の意識も変化していき、いよいよホークスの時代が到来してきました。王監督になってからもなかなか勝てずに、負けが込んだ時期には、有名な「生卵事件」が起きたり、うまくいかない時期が続きました。「生卵事件」とは、試合後の選手が乗り込んだ送迎バスにファンの人たちが次々と生卵を投げつけた事件です。テレビのスポーツコーナーでは各局この事件を取り上げて当時話題になっていました。

そんなことが置きながらも、小久保選手を中心とする世代の台頭で強いホークスが徐々に完成しつつありました。西武から移籍してきた秋山選手中心となってチーム力を高めていきながら、年々強くなっていく姿を見ながらこれから先のホークスを楽しみにしていたのを覚えています。

小久保選手はミスターホークスと言われるほど、選手やファンからの信頼も厚く、非常にキャプテンシーの強い選手でした。小久保選手の奇麗な放物線を描くホームランは脳裏に焼き付いています。小久保選手の全盛期だったころの、井口選手、柴原選手、城島選手、松中選手らの時代が一番ハマってホークス戦を観戦していました。走攻守三拍子そろっていて後にメジャーで活躍した井口選手、ファールで粘りながら出塁してしぶといバッティングが持ち味の柴原選手、ホークスの正捕手として全試合に出場して強肩強打でこちらもメジャーで活躍した城島選手2000年代に平成唯一の3冠王を獲得した松中選手、、、 その後斎藤投手中心に一時期投手王国を築いて行った時代もありました。和田投手や杉内投手の両左腕の活躍も素晴らしかったです。言い出したらきりがないくらいホークスの選手は紹介したくなります。

ソフトバンクホークスになってからは、3軍制を導入して選手の育成に力を入れていき、今の常勝ホークスへと変わっていきました。育成から大投手へとなって行った千賀投手や、甲斐キャノンと呼ばれるほどの強肩が売りの捕手である甲斐選手などなど、生え抜き選手の台頭は目まぐるしく、ものすごい競争になっています。

ここ10年で7度の日本一は、まさにホークスの時代と言っても過言ではないと思います!!!今年は苦しみましたが、来年必ず復活してくれるはずです!来年は、福岡にホークスがやってきたころの中心選手だった藤本選手が監督として指揮をとることになりました。地味なイメージがある方も多いかもしれませんが、2軍の監督として実績を残し、周りからの信頼が厚く指導力には定評があるとのことで期待しています。

埼玉西武ライオンズ

西武と言えば、黄金時代と言われた80年代後半から90年代のインパクトが強烈です。野手では、清原選手、秋山選手、デストラーデ選手、辻選手、伊藤捕手、平野選手、投手では、工藤投手、郭投手、渡辺投手、松沼投手、等々バランスの取れた横綱野球!といったイメージが強すぎます。この頃の西武ライオンズは投打に非の打ちどころがなく、打線は機動力を生かしながら細かい攻めが出来る上にクリーンアップの長打力も素晴らしかった!投手陣も先発、中継ぎ、抑えと万全でした。日本シリーズで秋山選手がホームラン打った後のバック中でのホームインは忘れられません。

この黄金期の後、低迷した時期もありましたが、運動神経抜群の松井選手が出てきたり、山賊打線と言われる重量級のホームランバッターで沸かせてくれたり、何かやってくれるハラハラドキドキのチームとして魅力のあるチームカラーだと思います。

そんな中で私の中でのヒーローは清原選手です!西武入団前の高校時代は「KKコンビ」と言われ、桑田投手と共に甲子園を大いに沸かせました。私の小学校時代、高校野球に興味を持ち始めたのは清原選手の影響が大きかったです。PL学園が毎回決勝戦までコマを進め、優勝や準優勝を繰り返して、清原選手が大ホームランを連発、桑田投手がいいピッチングを見せながら自ら打ったり、逆転のPL の大ファンでした。当時私は巨人ファンだったので清原選手の巨人入りを熱望してましたが、残念ながら西武ライオンズに入団となりました。しかし、PL学園時代からのファンだったこともあり、西武入団後もずっと応援していました。未冠の帝王と呼ばれ、タイトルこそ取れませんでしたが、チャンスに強く、オールスターや日本シリーズにはめっぽう強かったです。オールスターでの7回のMVP(歴代1位)は素晴らしいです。通算5位の本塁打525本も堂々たる数字です。そして・・・

プロ野球界で歴代1位の数多くの記録があります。サヨナラ本塁打12本、サヨナラ安打20本、死球数196死球、三振数1955三振 また、高校時代の甲子園での13本のホームラン記録も今だに破られていません。

プロ野球通算の記録でこれだけインパクトのある数字を残しています。番長といわれた時代から引退してからと色々な事がありましたが、やはり小学生時代から私にとってのヒーローで変わりはありません。

オリックスバッファローズ

オリックスバッファローズは、神戸を本拠地とするオリックス・ブルーウェーブが、大阪を本拠地とする大阪近鉄バッファローズを2004年に吸収合併して誕生したチームです。ともに関西の球団で、オリックスと言えばイチロー選手やその前のブルーサンダー打線!近鉄と言えば野茂投手!や、いてまえ打線!といった感じで、チームカラーの違う球団が合体したって感じです。私のイメージカラーは、青と赤!対局するイメージです。スマートな関西の球団と、こてこての関西の球団って言いうとわかりやすいかもしれません。

私の小学生時代は、オリックスの前身、、阪急ブレーブスです。そして3冠王の巨体ブーマー選手が懐かしいです。大きな体でバットをブンブン振り回して長打だけでなく率も残すから驚きです。また、投手ではアンダースローの山田投手の丁寧なピッチングも懐かしいです。私が中学生になるころにオリックスになり、そしてブルーサンダー打線も印象に残っていています。

ブルーサンダー打線は、門田選手、ブーマー選手、石嶺選手、藤井選手、松永選手らを中心として爆発力がありました。その中でも、門田選手はインパクトありました。この頃は40歳を超えて晩年にもかかわらず、小さな体で豪快なスイングでホームランを40本以上放ち、タイトルも獲得していました。

門田選手は南海ホークスに所属していましたが、移籍してオリックスで更に大活躍していて、、、ホークスファンの私としては、「南海からあのままダイエーに来てくれればよかったのに!」と思い残念がっていました。

イチロー選手がいた時に日本一になって以来、しばらく低迷期が続きましたが、今年遂にこの時が来ました!山本投手を中心に強力な投手陣に吉田選手をはじめ、バランスの取れた打線。。。

惜しくも日本一逃しましたが、前年最下位のチームがここまで躍進したのは素晴らしいです!

北海道日本ハムファイターズ

「ビッグボス」こと新庄監督の就任、日本ハム出身でメジャーリーガー大谷選手のMVP受賞に2021年シーズンでの大活躍、ダルビッシュ投手の近年の活躍と大きな話題の多い日本ハムファイターズです。ですが、私の少年時代の日本ハムは・・・

後楽園球場、東京ドーム、と巨人と同じ球場をホームとして使用していました。そのせいか巨人の陰に隠れていて日本ハムのホーム球場は「どこだろう?」と思っている人が多く思いました。

私の小学校から中学校にかけて日本ハムと言えば、チームの柱であり女性に人気の西崎投手が大活躍していた印象に残ってます。右の本格派で切れの良いストレートに多彩な変化球で80年代後半から90年代にかけては日ハムの絶対的エースでした。ストレートの球質が重く、打球があまり飛ばないと言われていました。また、打者としてはPL学園「KKコンビ」の後輩である片岡選手です。がに股での独特の一本足打法です。足を高く上げて腰を沈めてのフルスイング!!モノマネする野球ファンは多かったです。90年代後半には主に3番打者として活躍していました。気迫あるフルスイング。三振した時バットを投げ飛ばすさま。。西武時代の松坂投手のデビュー戦で喫した空振り三振のシーンが最近テレビでよく流れていますが、あのシーンたまりません。

その後、北海道に移転して地元密着の人気球団となって行きました。やはり、新庄選手の影響力は大きかったと思います。

千葉ロッテマリーンズ

今ではお馴染みとなったマリーンスタジアムでのロッテファンによる総立ちでの、そして飛び上がってのものすごい応援。一度でもその光景を見たことのある人は、圧倒されると思いますし、思わずロッテファンでもないのに一緒に応援してしまいたくなる程です。今はどの球場でも、応援団によるそしてファンによる応援の後押しはすごいものがありますけど、、、ロッテの応援団はホントに凄いです。最強のファンたちだと思います。特にバレンタイン監督時代が非常に盛り上がっていました。球場で目の当たりにすると本当に圧倒されてしまいます。

そんな現在のロッテですが、私の小学生時代の頃と言えば、川崎球場で観客の入りも思わしくなく閑古鳥が鳴いていました。。そんな中、落合選手が3度の3冠王を獲得して大活躍、西村選手が何度も盗塁王を獲得、リー選手も高打率を残して、好打者の愛甲選手などバラエティーに富んだ打線は大変魅力がありました。

当時、3度も3冠王を獲得した大打者である落合選手は、稲尾監督の事を大変慕っていました。稲尾監督が退任して有働監督になるときに「稲尾さんのいないロッテに自分はいる必要がない。」と言い残して、その後謝罪はされたようですが、中日にトレードで移籍しました。その時のニュースは小学生ながらに父親から聞いて覚えています。中日に移籍したことによって、中日ファンが急増する現象も起きている程でした。

そんな落合選手のロッテ時代からの「オレ流」と言われていた練習方法は独特でした。バッティング練習は右へ左へ軽く広角に打つだけで打ち込むような猛練習は一切やらずに、下半身強化のために走り込みが好きではないから守備練習で鍛える、と言った練習法でした。その練習方法でもきちんと自己管理が出来ていて、自分を持っていたからこそ、3度の3冠王や数々のタイトルを獲得できたんですね。なかなか真似はできないし、凄い事だと思います。

東北楽天ゴールデンイーグルス

球団創立は2004年になりますので、私の少年時代の思い出はなく、最近の球団のイメージが強いです。創立当時は、選手層が薄く近鉄バッファローズから振り分けでの分配ドラフトでの40人からはじまって相当苦しんでいました。岩隈投手や山崎選手らの移籍は戦力になりましたが、初年度の田尾監督は苦労していました。

そんな中でも、野村監督→ブラウン監督→星野監督とバトンを引き継いで着実に戦力アップしていきました。創立から10年後、2013年には日本一となりました。則本投手らの活躍も素晴らしかったのですが、この年の田中投手の大活躍は誰もが覚えていると思います。ペナントレースの成績は24勝0敗1セーブ、プロ野球史上初のシーズン無敗、防御率1位、沢村賞、MVP、これ以上の成績はありません。今後もこの年の成績は語り継がれることだと思います。

その後、田中投手は海を渡り、メジャーリーガーとなり、ニューヨークヤンキースで6年連続二桁勝利を挙げるなど、なくてはならない存在となりました。あの制球力に、スプリット、スライダー、またピンチに強く躍動感のあるピッチングフォーム、大好きです。2021年シーズンは、古巣の楽天に戻ってきましたが、運にも恵まれずに思い通りにいかなかったと思いますが、まだまだ日本でもメジャーでも活躍できる力は持っているはずです。今後の活躍に期待したいです。